いつだって愛おしい。
「あなたのことが」(加地天)
かれこれ30分になるだろうか。
携帯電話を耳に押し当てて、彼と通話しているのは。
いい加減に姉や父に不審がられてもおかしくはないこの日課は、一月ほど前から始まった。
加地葵と付き合い始めてからというもの、どちらともなく夜9時前後になると思い立って電話をかけたりしていたのがきっかけで、今では毎日のように話さなければなんだか物足りなくて、よくもそんなに話題があったものだなというくらい次から次に会話が溢れ、そのどれもが楽しくて。
「ほんと、加地くんと話してると時間が経つの忘れるよね。」
本日の話題は、後輩の志水圭一がアンサンブルを組んで演奏会をしようと言い始めた件について。
彼のあくなき探究心はその周囲の都合とか意志とかとは無関係なところで勝手に盛り上がって威力を発揮し、いつの間にか参加者にさせられていた加地は突然テーマ曲を渡され今その練習をしていたのだというところからその話題は開始した。
傍迷惑だけれど憎めない後輩に、呆れたり感心したり称賛したりで弾むこと30分。
「僕もきみと話してるとすごく楽しくて、ずっとその声を聞いていたいと思うよ。だけどそろそろシンデレラを家族の元へと返さないといけない時間かな?」
だいたいこのくらいの時間から彼女の部屋の外野がざわざわとし始め、おそらく父あたりが一体誰と話しているのだろうかと探りを入れるようにわざとらしく部屋の前を行ったり来たりしているのだろう、その気配でタイムリミットを察して終話するのがいつもの流れだった。
別に秘密にすることはないのだけれど、なんとなく照れくさくてまだ家族の誰にも打ち明けていないので、時期が来るまでは穏便にしておこうという気遣いが、まるでロミオとジュリエットのように2人を隔てる障壁となって立ち塞がっていたのだ。
「そうだね、そろそろ…」
終わりにしなければ、しかしそう言いかけて、なんだかやっぱりしゅんとしてしまい、天羽は今一度言葉を渋る。
それから少しだけ、わがままを言ってみたくもなった。
「ねぇ、今アンサンブル曲の練習してたんだよね?そしたらさ、1曲リクエストしてもいいかな?」
電話越しだからそんなにクリアな音は聞けないかもしれないけれど、それでも無性に彼の奏でる音が聞きたいと、そう思った。
「うん、いいよ。っていうか、僕がきみのお願いを断るわけないじゃない。仰せのままに、シンデレラ。」
その大げさな言い草に覚えるむず痒さもすっかり癖になってしまった。
口元が微笑んで、忠実なる王子へのリクエストは一体なんだろうかと期待している空気が受話口からも伝わって、なんだかいたずらをする子供のようにわくわくした気持ちで天羽は告げる。
「それじゃあ聞かせて、加地くんの今の気持ちを。」
それはなんともたちの悪い難題。
下手な選曲をしてがっかりさせてしまうリスクも考えられるこの要求に、なかなかハードルが高いねなんて笑いながら答える加地は、数秒沈黙してからやがてたどり着く。
「うん、それじゃあ伝えるよ、僕からきみへの、最高の言葉を。」
電話越しに携帯をどこかへ置く音が聞こえて、期待に胸を膨らませその一音を待てばやがて、深呼吸すらも伝わってくるような澄んだ音で、旋律が流れ始めた。
それはひどく耳に覚えのあるポピュラーな選曲で、けれども心地よさと甘さをしっかりとこの胸に伝え、彼の今の心境がどうであるかということさえ、容易に想像できて。
演奏を終えた後、ヴィオラを置いてもう一度携帯電話をその手に取る気配。
それからひどく満足したような声が改めて確認した。
「どう、ちゃんと伝わった、僕の気持ち?」
もはや彼の直接的な愛情表現は日常茶飯事ですっかりおなじみとなってしまったと思っていたけれど、こうして改まって聞かされると、余計に名残が惜しくもなる。
だからこそ言うのだろう、それに負けない、最高の返事を。
「ねぇ、もっと聞かせてよ。眠りに就くまで、聞いていたいんだ。」
あなたの声を、その音を。
そうしたら少し困ったような沈黙の後、彼の導き出した提案は、果たして最善策なのか、それとも。
「それじゃあ今度のお休みに、僕の隣で心行くまで聞かせてあげるよ。きみが眠りに就くまでずっと、僕はきみに囁き続けるよ。」
アマポーラ。
僕はきみが好きだ。
この心はきみだけのもの。
そんなどうしようもなく恥ずかしい言葉も、彼にかかればただの挨拶。
一晩中それを囁かれる日のことを想像して、天羽はなんだかくすぐったくて、人知れず笑った。
「それじゃあ逆に眠れなくなっちゃうよ。」
言ってはみたものの、それもまた悪くないかと思ったことは、秘密にしておいて。
代わりに今度はどんな解決策を持ち出してくるかと期待すれば、だったら朝がくるまで一緒に見つめ合って居られるねなんて大胆な返事が返ってきたから、もうすっかり降参だった。
「もうわかったよ。その日を楽しみにしてるね。」
いつもこのペースに乗せられて、結局彼の思う壺。
うん、ぜひそうしてよ。
満足げな彼の声を聞き、明日もまた学校で会うのにほんの少し名残惜しんで、ようやくのこと電話を切った。
通話を終えた後もなんだか余韻が消えなくて、そっと口ずさむ、その旋律。
アマポーラ。
僕はきみが好きだ。
いつも、いつでも与えてくれるその真っ直ぐな気持ちを胸に抱いて、今夜はぐっすりと眠れそうな気がした。
願わくば夢の中でも会えますようになんて、果たしてどっちがゾッコンなのか。
そんな欲張りなことを考えながら、おやすみなさいと心の中で呟いていた。
END
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たまには甘い。
いろんな曲を、いろんな目線で、天羽さんのために弾いてほしいと思うこの頃。
重症なのは私でしたw
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2015/12/17
SS(加地天)